南三陸町志津川漁港の牡蠣剥き倉庫で、小松美佳ミニライブ開催。

皆様、あけましておめでとうございます。
新年ですから少しでも明るい話題をと考えておりました。
昨年末、12月27日、南三陸町志津川漁港に新設された牡蠣剥き場とそこに併設された倉庫で、小松美香さんとゆうじさんのミニライブが行われました。
早朝からの牡蠣むき作業を終え、生産組合員有志が準備した豚汁と牡蠣鍋を食べた後始まったミニライブ。
小松美佳さんは実は八戸出身で、ご実家が311の津波で流された人です。普段は東京に住み、下北沢を中心にライブ活動をしています。
黄ぐまくん製作者国原加代子氏と交流があり、その縁で今回のライブが実現しました。
小松さん自身、311以降東北に足を踏み入れたのは初めてとのこと。
「気になっていたのですが、なかなか足が向けられませんでした。実家の父はこっちは大丈夫だから帰ってくるなと言っていましたし」
と話してくれた。
ベースのゆうじさんは、東北に行くこと自体が初めての経験。
お二人とも、被災地南三陸を見て、
「これは自分で来なければ何もわからないね」
と実感していました。
詳しくは有料メールマガジンを。月2回発行500円→http://www.agrico.org/tomita/mel-maga/pey/01.html

南三陸町。本格化する基礎部分の「見えない」コンクリート瓦礫。膨大な量の「見えない瓦礫」の掘り起こしと処理作業が始まった。中央奥は保存が見当されている防災センター。

2012年12月28日、南三陸町志津川にて撮影。
コンクリート瓦礫は粉砕しコンクリートとして再利用されるなどの処理がなされる。
鉄筋は鉄材として再生される。
しかし、その膨大な量を小さな自治体に背負わせるのはいかがなものだろう。
福島第一原発から遠く離れているにもかかわらず、瓦礫の広域処理は遅々として進まない。

6月26日から写真展「黄ぐまくん、被災地に行く」を開きます。黄ぐまくんのホームページはhttp://www.kigumakun.com 写真展の詳細は http://twipla.jp/events/24435

東北へ何度も何度も足を運んだ。
東京駅に着く度に、あまりの温度差に愕然とする。
同じ時間軸で生きているのに、これほど無関心でいいのだろうかと思う。

確かに、日本中が意気消沈する必要はなく、むしろそれは経済にとって、暮らしにとって危険なことなのだ。
けれど、意識の中から東日本大震災が消え去り、東北はもう大丈夫なんでしょう?復興に向かっているのでしょうという話を具体的に耳にするにつけ、何ともやりきれぬ思いに囚われる。

週刊誌も月刊誌も同様。
切り口を変えなくちゃなどと意味不明のことをいい、あからさまに「また震災ですか?読者はもう求めていませんよ」などという編集さんまでいる。

今回の写真展はTwitterの実験でもある。
Twitterのフォロワーさんが具体的にどのくらいの割合で足を運んでくれるのか試すのだ。
降格と嫌らしいけれど、SNSの実力を自分の身で知りたいと願う。
ものすごい力を持っていると信じたいけれども。

いずれにしても、今回の写真展は、大幅に黄ぐまくんの力を借りて視点を変えてみた。
視点を変えなくてはいけない理由は、温度差を埋めたいからに他ならない。
どこまで埋まるだろうか。
私の力など微々たるものでしかないけれど。

黄ぐまくんのホームページは
http://www.kigumakun.com
写真展の詳細は http://twipla.jp/events/24435

2月12日南三陸町で撮影。寒風吹きすさぶ中、瓦礫は被災者の手によって丹念に選別される。木材、ビニール・プラスティック、金属。背後の瓦礫の山を小さな自治体に全部背負わせようとする意見には人として同意しかねる。

東日本大震災被災地で出た大量の瓦礫は、いまだに山積みされている。
それは、小さな自治体の手に余る量だ。
被災地の自治体は放射能検査をした上で引受先の自治体を探しているが、
市民の反対にあって難航している。
もちろん市民の側にも言い分はある。
放射能を拡散させて欲しくないというのがその言い分だ。
福島県内の瓦礫であれば当然そういった心配も必要だし、受け入れを拒否する理由にもなるだろう。
しかし、宮城県北部や岩手県の瓦礫まで拒否するというのは、被災地を見る物にとって理解しがたい。
苦しみを分かち合おうとする考えに立てないのだろうか。
災害は明日は我が身である。

A lot of rubble which came out in the East Japan great earthquake stricken area is still piled in heaps.
It is the quantity which is beyond control of a small town.
The town of a stricken area is looking for the underwriter’s town, after conducting a radioactivity inspection, but it faces rough going because of the acceptance opposition from the resident.
Of course, there is something to say also in the resident side.
It is the something to say that I do not want you to diffuse radioactivity.
If it is rubble in Fukushima, naturally such worries will also be required, and it will also become a reason for refusing acceptance.
However, it is hard for me who know a stricken area to understand refusing even the rubble of northern Miyagi and Iwate Prefecture.
Doesn’t it stand to the idea which tries to share pain?
A disaster is what chances to one man may happen to all.