2月12日南三陸町で撮影。寒風吹きすさぶ中、瓦礫は被災者の手によって丹念に選別される。木材、ビニール・プラスティック、金属。背後の瓦礫の山を小さな自治体に全部背負わせようとする意見には人として同意しかねる。

東日本大震災被災地で出た大量の瓦礫は、いまだに山積みされている。
それは、小さな自治体の手に余る量だ。
被災地の自治体は放射能検査をした上で引受先の自治体を探しているが、
市民の反対にあって難航している。
もちろん市民の側にも言い分はある。
放射能を拡散させて欲しくないというのがその言い分だ。
福島県内の瓦礫であれば当然そういった心配も必要だし、受け入れを拒否する理由にもなるだろう。
しかし、宮城県北部や岩手県の瓦礫まで拒否するというのは、被災地を見る物にとって理解しがたい。
苦しみを分かち合おうとする考えに立てないのだろうか。
災害は明日は我が身である。

A lot of rubble which came out in the East Japan great earthquake stricken area is still piled in heaps.
It is the quantity which is beyond control of a small town.
The town of a stricken area is looking for the underwriter’s town, after conducting a radioactivity inspection, but it faces rough going because of the acceptance opposition from the resident.
Of course, there is something to say also in the resident side.
It is the something to say that I do not want you to diffuse radioactivity.
If it is rubble in Fukushima, naturally such worries will also be required, and it will also become a reason for refusing acceptance.
However, it is hard for me who know a stricken area to understand refusing even the rubble of northern Miyagi and Iwate Prefecture.
Doesn’t it stand to the idea which tries to share pain?
A disaster is what chances to one man may happen to all.

2月12日。南三陸町黒崎地区、JR気仙沼線鉄橋から志津川湾をみる。美しい海が戻りつつある。わかめや牡蠣の養殖ブイも設置された。定置網も張り直された。首都圏にも三陸の魚が並び始めた。三陸はうまい!

南三陸で海産物ご飯を食べてきた。
極上のめかぶもタラも食べました。
放射性物質汚染が気にならないかという人もいるが私は気になりません。
0ベクレルを目指すのは不可能。
私たちの反原発の声を聞かず一貫して、いまだに原発推進、新自由主義万歳、
弱肉強食という政治家を選び続けている責任は重いと考える。

福島市でも三陸からの物だという魚を出す店で仲間と大いに盛り上がった。

なぜ平気なのか。
私たちの年齢が大きな理由だ。
もう一つの大きな理由は、昨年チェルノブイリに取材に行きそこで暮らす、
不法居住者と呼ばれる人たちの生き方と姿を見たからだ。
放射能を正しく警戒する必要はもちろんある。
しかし、不必要におびえて、逃げ惑うことを私はしない。
西に逃げろと言う人もいる。
西に逃げた友人もいる。
しかし、そこにも老朽化した原発があるのだ。
そこに逃げたとしてもさほど意味はないのだ。
つまり、この狭い日本に逃げ場所があるとしたら、北海道東部か沖縄くらいな物だろう。
人間の手に余る原発を欲しがり支持してきたのは我々国民なのだということを忘れてはいないか?
身の危険を顧みず原発の危険性を訴える専門家やジャーナリストの声を抹殺してきたのは我々国民である。
その責任は、放射能をかぶると言うことでしか果たせぬ事を思い知るべきではないか?
しかし、311以降の各種選挙で反原発、脱原発候補はすべて負け続けている事実を考えると、暗澹たる気分になる。
口先の脱原発に惑わされていると言うことは、原発安全神話を鵜呑みにしてきたこれまでとまったく同じ事で反省などこれっぽっちもしていないのだという証明ではないだろうか。

Dear TEPCO .Thank you! 東電さんのおかげです。福島県浪江町下津島地区にて。2月4日撮影。

The meaning this photograph,
Dear TEPCO
It is the favor like TEPCO that we can live in a refuge person residence and can enjoy Pachinko.
It is also the favor like TEPCO that we shed tears in a refuge person residence.
TEPCO, thank you.
December 12 On the day which returned

※This photograph is taken in Shimo-Tsushima area Namie-town Fukushima pref.