餓死させたのは誰だ?浪江町にて

飯館村から双葉町に抜ける道端で、犬が死んでいた。外傷はないので、おそらくは餓死だろう。どれほどひもじい思いをしたか。大槌町安渡小学校避難所で一緒に避難してきた犬たちは幸せそうだった。人間も幸せそうだった。犬を置いて、あるいは猫を置いて避難せざるを得なかった人々の思いは、察するに余りある。避難・退避勧告地域は立ち入り禁止区域ではない。私は2匹の犬に持っていたビスケットを与えることしかできなかった。

餓死させたのは誰だ?浪江町の牛舎にて

3月15日の避難勧告から20日が過ぎた。避難した市民の中には酪農家も含まれていた。こうなることはわかっていた。水もえさも絶たれそれでも、まだ生きている子牛。力尽きやせ細って横たわり動かない子牛。好きで牛を放置して避難する酪農家などいない。苦渋の決断を迫らなくてはならない原発事故に責任がある。酪農家がこの現実を受け止めていることを忘れないでいただきたい。

南相馬市の津波被害を忘れてはならない

一部東電福島第一原発から30kmの範囲に入るため、ほとんど手がつけられていない状態の津波被災地が南相馬市にある。その規模は岩手、宮城の度の被災地に匹敵して余りある。原発事故と北の被災地に隠れてあまり報じられないけれど、現地は悲惨を極める。

大熊町にて撮影。水蒸気を上げる原発

大熊町からの帰り道、ふと気がつくと原発から水蒸気が。水蒸気だと思った理由は、すぐ消えるからだ。煙だとすぐに消え去ることはない。順調に冷却作業が進み、炉心をコントロールできる日が来ることをひたすら願うしかない。

福島県浪江町に入った

4月5日、11時過ぎ。浪江町大熊野付近に入る。福島第一原発が見える。直線距離10km以下。岩手、宮城の被災地と酷似した風景がそこにあった。14日以降、捜索活動が停止している。取材後相双保健所にて被爆線量測定。基準値100Kcpmのところ、1,5Kcpmとのこと。スクリーニングの必要は当然ない。

再び被災地へ

3月14日気仙沼で撮影。

4月4日の深夜のバスで再び宮城に入る。

仙台には5日の朝5時過ぎにつく予定だ。今回の相棒は仙台に住むカメラマンM橋さん。今回の取材は前回とは少し趣というか目的を大きく変えようと思っている。本来の自分の取材スタイルに戻すということ。前回よりもっと突っ込んで、記録的意味のある写真もたくさん撮影してリポートにまとめる予定。前回取材した写真をまとめて、現在電子書籍にする準備をしている。そのキャプションを、出かけるまでになんとがアップしたいと頑張っているところ。

北茨城市に取材に入る。忘れられた被災地にしてはならない

北茨城市の津波被災現場。
大津漁港
大津漁港

初めて北茨城市の被災地に取材に行った。己の不勉強さを呪った。被災者の方が「宮城と福島の被害をテレビで見たら、私たちなんか軽いもんだ」と笑ったけれど、北茨城の被害も深刻である。「忘れられた被災地」にしてはならないと強く思った。